神田のうた⑰「本郷弓町の駄菓子屋懐古」(2)セロハンニッキ

◎セロハンニッキ
 駄菓子の菓子には、前号でお話した「寒天棒」のほかにも、絶滅したものがある。
「セロハンニッキ」もそうだ。これは、透明なセロハン(セロファン)紙に、赤く着色した甘いニッキ液を浸し、乾燥させた後、コヨリのように縒(よ)って棒状にしたもの。一本二本とばら売りしていた。値段は一円か二円の安いものだった。
食べ方がちょっと面白い。口に含んで、くちゃくちゃと噛むとセロハンに染み込んだニッキ味のぴりりと辛くて甘い汁が溶け出てくる。これを舐めたりちゅうちゅうと吸うのである。ニッキのいい香り。味がしなくなるまで噛んでいると,赤いセロハンが透明になる。今度はこのセロハンを広げて口に当て、息を吸ったり吹いたりして「ブーッ」と音を鳴らして遊ぶのである。
一体どこのどなたが発明したのか、菓子の形態も変わっているし、食べ方も面白く、さらに食べかすのセロファンが遊び道具にもなるという意外性もある。よく工夫された駄菓子の傑作だと私は思う。よくぞまあ、セロハンを食品に応用することを考えたものだ。
むかし、野球の半田という選手が「噛みタバコ」をくちゃくちゃと噛んでいたが、あれあたりがヒントだったのかもしれない。
 それに、なんといっても私が郷愁を覚えるのは、あのセロハンニッキの赤の色である。薄紅色なんてお上品な色ではなく、その色たるや、ちょうど赤インキのような、毒々しいまでのいわゆる「真っ赤っか」というやつなのである。実に刺激的な色。昔は真赤に着色したやタラコや酢だこや鯨ベーコンなどをよく見かけたものだが、最近は健康問題もあって、こういう色の食べ物は見かけなくなった。
いったいセロハンニッキの色は何で着色したのだろう。駄菓子だから紅花から絞った高価な天然の食紅を使っているはずはなく、おそらく今は使用禁止になっている「食用赤色7号」なぞというタール系の合成着色料を使っていたのだろう。とにかく、食べると口の中が真赤っかになるのである。その赤色色素の浸透力は強烈で、口を軽くゆすいだくらいでは落ちる色ではないのだ。口の中の粘膜に染み込んでしまう感じの強烈な赤の色なのである。
つばをはくと、まるでタラタラと血を吐いたようだ。ところが子どもはこれが楽しくてしょうがない。喜んでお互いに真赤に染まった口の中を見せっこしたりしてキャッキャとはしゃぎ興じたものだ。もちろん唇も指も真っ赤に染まる。シャツなんかに付いたらそれこそ大変、石鹸で洗ってもなかなか落ちやしない。私は、ははーん、染物というのはこうしてやるのかと、染物の原理に気が付いたほどである。
この刺激的な赤の色を利用して、このニッキ棒はチャンバラごっこをするときの「小道具」としても重要な役割を果たした。
昔の時代劇には、血反吐を吐いて「うーん、無念じゃ・・」と倒れる場面がよく出てくるが、これを真似するときに使うのである。ニッキ棒を噛んで、つばをためておき、芝居の血糊よろしく真赤な血をはきだすのである。
遅く帰ってくると母親から必ず「口をあけてごらん」と口中検査をされたものである。口の中が赤いと、ここでたいてい駄菓子屋で道草をしていたことがばれてしまうのである。
一生懸命うがいをしたのも懐かしい思い出である。
ニッキ棒のほかにニッキ味の駄菓子には「ニッキ飴」や「貝ニッキ」があった。「ニッキ飴」は今もあるが、「貝ニッキ」はほとんど見かけなくなった。これは浦安辺りで大量にでる、ハマグリの剥き身ををとった後の貝殻を容器として利用したものだそうだ。どろどろに煮溶かしたニッキ味のブドウ糖を、ハマグリの貝がらに流し込み、固まらせたもの。赤く着色してあった。舐め終ったあとの貝がらは、貝同志ぶつけて、割りっこして遊んだ。板ニッキは、貝ニッキの素材を板状に伸ばし固めたもので、タイルのような形で、大きさは碁盤のます目位。バラ売りしていた。
まあ、いろいろあったが、ニッキ棒には及ばなかった。
ニッキは、甘味と相性がよいので、昔からお菓子に使われて来た。京都の銘菓八つ橋やニッキ飴やニッキの粉をまぶした焼き菓子もある。それに飲み物にもよく用いられる。私の時代にはすたれてしまったが、小さなビンに入ったニッキ水なんて飲み物もあった。また、関西でいまでも夏場の飲み物として好まれている「冷やし飴」もニッキがが隠し味として使われている。むかしの子どもたちはニッキ味の菓子とともに育ったのだ。
ニッキの正式名は桂皮または肉桂といい、クスノキ科の植物。根や樹皮を粉にしたり、エキスを抽出して用いる。日本では四国や九州で栽培されている。香りと刺激的な味が好まれ、葛根湯など漢方薬にも使われている
昭和三十三年頃、鹿児島の照国神社の前の露店でニッキの根を買ったことがある。七、八センチに切りそろえ、赤い紙テープで束ねてあって、値段は十円だった。一見、漢方薬の生薬ような感じ。炎天下、麦わら帽子をかぶったお爺さんが売っていた。食べ方を尋ねると、そのまま噛むのだと教えてくれた。恐る恐る噛むと、ニッキの香りとほのかな甘味が、口一杯に広がって、野趣満点で珍しかった。しかし、噛んでいるとおがくずのような細かい木片が舌にからみ付くので、ちょっと閉口した思い出がある。今でも売っているだろうか。
 ニッキの味が無性に懐かしくなって、なにかないかと、スーパーの菓子売り場をのぞいてみた。見つけたのはニッキ飴の袋一点だけ。子ども向けの菓子のコーナーには、ニッキのお菓子はひとつも見当たらなかった。(岡田則夫・記)

(掲載誌・神保町のタウン誌「本の街」)