神田のうた⑲「本郷弓町駄菓子屋懐古」(3)宝袋

 ◎駄菓子屋玩具
 昭和二十年代の駄菓子屋玩具は、まだビニールやプラスチック製のものはなく、紙や木や竹やブリキやガラスやゴム製がほとんどだった。男子に人気があったのは、ベーゴマ、ビー玉、メンコが御三家。メンコは角メン、丸メン、豆メンコ、人形メンコ、飛ばしメンコ、ドンチカッパといろいろな種類があった。そのほか、ぱちんこ、百連発鉄砲(巻玉鉄砲)、銀玉鉄砲、2B弾、模型ヒコーキ、十五ゲーム、智恵の輪、女の子向けにはオハジキ、まり、石蹴り、紙石鹸、ローセキ、リリアン編み、塗り絵、あぶりだしなどが人気商品。そのほか各種ブリキ玩具、アンチモニー玩具、たこ、竹とんぼ、水鉄砲、剣玉、風船、カルタ、折紙、軍人将棋、風車、ヨーヨー、磁石、笛、双六、玩具紙幣など。
 私が一番欲しかったのは、乗車券を切るおもちゃのはさみだった。銀色に光っていて、本物そっくりだった。当時で二十円もしたから駄菓子屋玩具の高級品。パンチの先の歯形がかまぼこ形で、これは当時開通したばかりの地下鉄本郷三丁目駅と同型だった。親にねだってようやく買って貰って、ボール紙で切符を作り、五、六枚切ったら、あっけなくボリッと先が折れてしまったのだ。私はこのとき生れて初めて「落胆」するという経験を味わったのである。
 今の玩具は品質がよくなったから、めったなことではこわれないし、安全性にも配慮している。でも私は、こういった昔のすぐ駄目になる、いわゆる「こどもだまし」の玩具が無性に懐かしいのである。

◎新聞紙袋の宝袋
 昔の駄菓子屋にはよくあったが、今絶対に見ることがないものに、「宝袋」がある。この袋はタテ二十センチ、横十五センチ位の大きさの雑誌や新聞紙の古紙を利用した袋。三十袋ほど束ねて、ヒモでぶる下げている。同じような紙袋のもので、ブロマイドが入っているのは、近年まであったが、「宝袋」は中に入っているものが違うのである。
 袋の中には、牛や魚の絵の描いてある缶詰のレッテルやマッチのラベルや古風な絵柄の酒や菓子の商標、化粧品の瓶に貼るシールなど、美しい絵柄の多色刷の小さな紙片が二、三十枚入っているのである。大きさは大きくてハガキ大。大小さまざま、形もさまざま。円形あり、楕円形あり、ひょうたん型あり。花びら型に打ち抜いたシールなどがでてくると、小躍りして喜んだものだ。
 私は、幼児の時から無類の収集好きで、これを買うのが楽しみだった。何が入っているか、胸をときめかせながら袋を開けるときの楽しさよ。小さな子どもの収集欲を充分満足させるものだった。時には、レコードのレーベルが混じっていることもある。レコードといっても、もちろんSP盤時代のレーベルである。いま思うと、コロムビアのポピュラー盤のレーベルが多かった。たぶん、その当時ヒットしていた、プレスリーやドリスだろう。私は十代の後半から大衆芸能のSPレコード収集を続けているが、レコードに貼り付ける前のレーベルなんて、一度も見たことがない。今あればちょっとした珍品だろう。むかしは、こうした子どもの興味がありそうなものは、何でも売っていたのである。これらのものは、いったい、どういう経路で駄菓子屋の商品として回ってきたのだろうか。
 私が通った駄菓子屋のあった本郷弓町の周辺の神田、小石川、江戸川橋には、大小の印刷所が密集していたので、こういったところから、「ヤレ(失敗品)」として出る紙くずの中から、「宝袋」に使えそうなものを業者が買い集めてきたのかもしれない。あるいは、紙くずが集まってくる仕切り場で、売れそうなものだけ、別によけていたのかもしれない。究極の廃品リサイクルである。袋詰めはたぶんどこか内職に出していたのだろうが、こういったことが詳しく調べたくとも今となっては、まったく分からないのは残念である。
 宝袋に入っていたこれらの片々たる印刷物は、名もない画工が精魂傾けて版下を描き、その頃のことだから現在のようなオフセット印刷でなく、古風な石版やジンク版の描き版だったのだろう。印刷物に味があった。中にはインクが盛り上がったように刷り上る凹版印刷の反物のラベルもあった。子どもというものは、案外細かい所を見ているものである。私はそうした紙切れを絵本代わりにながめてくらしたのである。
 それからもう一つ、珍しい駄菓子屋玩具を思い出した。穴の開いた紙テープである。幅二センチくらいの紙テープに1ミリ大の穴が一面にあいている不思議なもの。この紙テープは薄くて丈夫な紙で、周囲に緑や紅色の色が付いていて、匂いをかぐと、かすかにミシン油のような匂いがする。開いている穴の配列をよく見ると、文字のようでもあるし模様のようにも見える。とにかく意味不明の珍しいものなのである。これは、後年分かったのだが、鑽孔(さんこう)テープというのもので、通信用のテレタイプや初期の電子計算機に使っていたものである。同級生がこれを学校に持ってきて、自慢するのだが、売っている場所をどうしても教えてくれない。私は、欲しくて欲しくてたまらない。私の近所の駄菓子屋では売っていない珍しいものだった。
 そこで私は、自宅から歩いていける範囲の駄菓子屋を毎日、毎日しらみつぶしに探し歩いたのである。そうしたら、たった一軒、東大農学部前の道を西片町に入る路地の右側ある駄菓子屋で発見したのである。そのときの感激は今でもまざまざと思い出すことができる。見つけた瞬間、背中にビリビリッとエレキが走り、目の前が一瞬ほわーんっと黄色くなった。その紙テープは直径三センチ位にきちっと巻いてあった。値段はたしか、五円位だったと思う。私はようやく見つけた宝物をポケットに大事にしまうと、我が家に向かって一目散に走り出したのである。収集の楽しみを知ったのはこのときからかもしれない。この駄菓子屋にはほかに、コンデンサーの銀紙や変形磁石や火打石など、子どもの好奇心を満足させる珍しいものがあった。たしか、「匂いガラス」なんていうものも売っていた。これは、机などにこすりつけると、甘い匂いがする珍しい透明のガラスである。これは戦闘機の風防ガラスだそうだ。ベーゴマやメンコだけが駄菓子屋玩具ではない。
 こういうヘンテコなものも商品にしてしまうところに駄菓子屋玩具のたくましさがあったように思う。(岡田則夫・記)

(掲載誌・神保町のタウン誌「本の街」)