神田のうた⑳ ◎「モク拾い」の思い出

  ◎「モク拾い」の思い出
 最近神田の街を歩いて気が付くのは、歩きタバコをしている人の姿をほとんど見かけないことである。
 千代田区は平成十四年十月一日、路上喫煙や吸殻・空き缶などのポイ捨てを禁止する「生活環境条例」を施行した。私はくわえタバコで古本屋の均一台を漁るのを楽しみにしていたが、この条例施行を機に歩きタバコを慎み、今は、三省堂の喫煙所で一服することに決めた。千代田区の調査によると、たとえば秋葉原地区の場合、条例施行前はポイ捨てが九九五本だったのが、翌月には激減、現在では五十本以下の状況が続いているという。
 これだけ減ったということは、条例違反をすると二万円以下の科料(当面は二〇〇〇円)の罰則を科せられるということもあるが、一人一人のマナーが向上してきたのが一番の要因ではないだろうか。
 ひと昔のことを思い起こすと夢のような変わりようだ。私が勤め人になった昭和40年代は、街中のくわえタバコは当たり前で、ラッシュアワーの駅でも階段の昇り降りをしながらプカプカ鼻から煙を出していた人がザラだった。恥ずかしながら、かく言う私もその一人であった。ホームから線路を見ると一面吸殻だらけ。パチンコ店はむろん、映画館でもセカンド館あたりは通路に吸殻が散乱のありさまで、休憩時間に掃除のおばさんがほうきとチリトリを持って掃除に回っていたものだ。
 それから、古書展が現在の古書会館のその前の、そのまた前の木造の古書会館で行われていた時代は、畳敷きの会場のところどころにニュームの灰皿がおいてあり、年季の入った書痴連が、あぐらをかいてぷかぷかとやりながら、品定めをしていたものだ。これが昭和三十八、九年の頃のごく普通の光景だった。当時私は高校生で、落語の本を探すため古書展通いをしていたが、この姿にあこがれて畳に座り込み、生意気にも吸えないタバコをふかして、ゴホンゴホンとむせ返り、知らないおじさんに「おや、おや、この子は・・・」なぞと冷やかされて顔を赤らめたのも懐かしい思い出だ。
 そもそも私が物心ついて「タバコ」に興味を持つようになったのは、「モク拾い」と出会ってからである。私は小さいときから、無類の「採集」好きで、イチョウの落ち葉を拾い集めたり、海で貝殻を拾ったり、公園で椎の実を拾ったり、道普請で道路に敷き詰める石の中からきれいな鉱物を拾ったりするのが大好きだった。路上でタバコの吸殻を拾う「モク拾い」に興味を持つのは当然の成り行きだったのだろう。あのおじさんは、何をしているのだろうと興味津々となり、後を付いていったら迷子になりそうになり、人さらいにでもあったのではないかと、近所で大騒ぎになってしまったこともある。「モク拾い」の仕事場は人が大勢集まる盛り場。私の家の近くには後楽園球場があり、昭和24年からは競輪も開催されるようになって、彼らのいい稼ぎ場だったのである。私が迷子になりそうになったのは、後楽園のほうへ向かう彼らの後をついていってしまったからなのである。
 若いかたは「モク拾い」をご存じないと思うので、ちょっと説明しておこう。まず、「モク」というのはタバコのことをさす俗語である。語源の由来には二説あり、もくもく煙が出るからというのと、煙の形が「雲」のようだから、「クモ」を逆さ言葉にして「モク」。広辞苑では「雲」説をとっている。外国のタバコは「洋モク」、吸い終ったタバコは「シケモク」という。
「モク拾い」を一言で言えば、ポイ捨てしたタバコを路上で拾い集め、それをお金に換えるれっきとした職業のことである。終戦からしばらくの間、タバコのような嗜好品は貴重品で、吸殻といえどもお金になったのである。拾った吸殻は、ほぐして巻き直し、再生タバコとして商品になった。非合法ではあるが、値段が安いので、けっこうもてはやされていたのである。箱入りだけでなくバラでも販売された。場末のパチンコの景品にも使われたという。今はポイ捨ての吸殻は厄介なごみで、専門の清掃業者やボランティアの方が片付けているが、昔は「モク拾い」が鵜の目鷹の目で探し集めるお宝だったのだ。
 タバコを巻くのは「タバコ巻器」という道具を使う。これは、昔はどこのうちにでもあったもので、我が家にもあった。紙はインディアンペーパーを用いる。これは、薄くてきめが細かく、しかも印刷インキが透き通らない丈夫な特殊な洋紙だ。辞書用紙にも使われたので、本文を切り取って紙巻きタバコの代用紙に使われたこともあった。知り合いの古本屋の話だと、三省堂のコンサイス辞書が火付きがよく、「味」もよいというので、一時は表紙が取れたボロ本でも高値で取引されたとのことである。
 元手いらずで、さほど体を使う労働でもなかったので、重労働に向かない体の弱い人や子どもや女性の仕事として、盛り場に行けば必ず「モク拾い」の姿を見かけた。終戦直後は浮浪児が多かった。モク拾いは、私の記憶では昭和二十七、八年頃まで見かけたが、三十年代には姿を消した。
 吸殻の拾い方は、細い棒の先に細い釘や針をつけた専用の道具で、タバコの吸殻を刺し、器用に吸殻を抜き取り、腰に下げている缶詰のカンに入れる。カンでなくズックの小さなカバンのようなものを使っている人もいた。棒を使うのは腰を曲げずにすむようにするためである。一日やっていたら疲れますからね。この棒は篠竹のようなものが多かったが、私がよく見たのは、こうもり傘の柄を利用したものだった。彼らは、吸殻だけでなくピースや光などの空き箱も拾っていた。再生したタバコを詰めるためである。
 昔はタバコは貴重品だったから、愛煙家は現在のようにまだ長い吸いかけをぽいと捨てることはなく、根元まできっちり吸ったから、落ちているのは短いものが多かった。一本の再生タバコを作るために、少なくとも五、六個以上の吸殻が必要だったのではないだろうか。踏み潰されてぺったんこになったのも拾っていた。
「モク拾い」が拾ってきた吸殻は、おそらく、専門に買い取る元締めがいて、そこの「私設専売公社」で再生タバコに加工されたのだろう。
 どんな味がしたかは、残念ながら当時私は子どもだったのでわからないが、父の話によると本物より風味が落ちるのは致し方ないとしても、まずくて吸えないというほどの物ではなかったという。まあ、いろいろの銘柄がブレンドされている、ヤニくさいタバコのカクテルみたいな物だったのだろう。
 今度、我が家の灰皿のシケモクをためておいて、巻き直して「モク拾い」時代のタバコを再現し、ゆっくり味わってみたいと思う。(岡田則夫・記)
(掲載誌・神保町のタウン誌「本の街」)