神田のうた②「明治大学校歌」

 明治大学校歌は校歌の中で早稲田の校歌と並んで出色とされる。
関係者だけでなくこれほど国民に親しまれている校歌はないだろう。私が最初に覚えた校歌も明大校歌だ。神田で下宿していた親戚の明大生が、本郷弓町の私の家によく遊びに来て、幼稚園生の私に口伝えで教えてくれた。初めて覚えた「大人の歌」だった。もちろん、歌詞の意味なんかわかりゃしないが、得意になって「しらくもなびくー・・・」と「お遊戯仲間」に歌って聞かせたものだ。
校歌というものは、入学して初めて覚えることが多いのだが、明大はソラで歌える新入生が多いという。
 校歌は校章や校旗などと同じように学校が制定して生徒に歌わせるものがほとんどである。しかし、明大の校歌は学生たちが主導権を持って作成されたことで知られている。
大正九年四月一日、新大学令発布により明治法律学校明治大学と認可された。
秋に行われる隅田川の大学対抗ボートレースに応援歌を望む声が上がった。早稲田のようにみんなで歌える校歌がほしい。そこで立ち上がったのが当時商学部一年の武田孟(のち明大総長)、牛尾哲三(のち日刊スポーツ新聞社専務)、越智七五三吉の三人。彼らは、木下友三郎学長に訴え、大学側の承諾を得て校歌作成に取りかかる。作詞は誰にするか。笹川臨風教授の紹介で与謝野鉄幹と児玉花外が候補にあがった。鉄幹は不在、その足で花外を訪問して快諾を得る。児玉花外は『社会主義詩集』で初禁を食らった熱血詩人。
 作曲はドイツ帰りの新進作曲家・山田耕筰に白羽の矢をたてた。山田は花外の詩を見て、作曲しにくいから野口雨情か西條八十に見てもらうようにと武田に伝える。学生たちは再び児玉花外宅を訪問、山田の意志を伝えると、花外は承諾。そうして、当時はまだ白面の詩人だった西條八十に依頼する。八十は花外の詩の心をくみ取り、現在歌われている決定稿が完成したのである。いまどの歌集を見ても作詞者に西條八十の名はない。八十は、明大の学生たちの心意気やそれまでのいきさつを配慮したのか、自分の名前を出すことにこだわらなかった。

◎「明治大学校歌」
  児玉花外・作詞 山田耕筰・作曲

一、白雲なびく駿河台 眉秀(まゆひい)でたる若人が
  撞くや時代の暁(あけ)の鐘
  文化の潮(うしお)みちびきて
  遂げし維新の 栄になう
 「明治」その名ぞ 吾(われ)等(ら)が母校
 「明治」その名ぞ 吾(われ)等(ら)が母校

 できた当時はこの後に山田耕筰の作によるリフレーンが付いていた。最近はあまり歌われなくなったが、昭和四年発行の『全国校歌寮歌応援歌集』(文行堂・発行)に出ていたので、書き写しておこう。

 (いえい、いえい、明治フレー、いえい、いえい、明治フレー、MEIJIフレー、HIP,HIP、フレーHIP、HIPフレー、「明治」「明治」「明治」、フレー、フレーフレー、「明治」その名ぞ 吾(われ)等(ら)が母校)

校歌は聴く歌というよりか、むしろ歌う歌である。同じ歌を歌うことにより学生たちが一つにまとまり愛校心を養う求心力がある。
 昔の歌詞には独自の教育方針、修身、忠孝の教えを掲げるものが多かったが、戦後の校歌は生徒中心のものに歌詞やメロディを直し、制定しなおす学校も多い。
 しかし、われわれが自分の学校以外の校歌を聴く機会はめったにない。高校野球の放送で流れるのを聴くぐらいのものだろう。校歌は隠れた名曲の宝庫である。
 私は、古いSPレコードを求めて全国の古道具屋や骨董店を歩いてきた。各地を回るとその土地の校歌のレコードが混じっていて、訪問記念として買い求めたのが五十枚近くになった。明治大学の校歌はどこでもよく見る。校歌のメロディは雄渾で荘重な曲が多い。昔の人はこのような曲を好む人も多かった。各国の国歌などもレコードになっている。たまにはこういう曲を聴くのも新鮮で、いいものだ。大正時代、早稲田の校歌と一高の寮歌は大道の演歌師によって読売りされ、かなり流行した。これもオリエントレコードから谷川弘月の歌ででている。
 校歌のレコードはほとんどがプライベート盤である。学校の行事や式典で使用するための実用的な用途の他、記念品として配られる場合もある。
 一般に発売された校歌のレコードはそう多くないが、早稲田と明治は別格である。
 最初に吹き込まれた明大校歌のレコードは昭四年二月、日本ビクターから発売の、『明治大学校歌』(明治大学学友会音楽部・演)ではないかと思う。B面は『若人「明治」の歌』(畑耕一・作詞、高階哲夫・作曲、同演)。その後、昭和五年九月に明治大学応援團の歌でコロムビア、昭六年五月に明治大学合唱団の吹き込みでポリドールから発売となった。ほかに、コロムビアの非売盤があり、これは伊藤久男と合唱團が歌っている。変り種にはトンボレコードの7インチ盤でジャズ歌手の中野忠晴が歌っている。味があって隠れたファンの多い盤だ。どの盤もいわゆる「珍盤」ではなく、売れた盤なので探せば見つかる。
 平成十六年度の「学校基本速報」によると、小学校は二万三四二〇校、中学は一万一一一二校、高校は五四二九校、大学は七〇九校、短大は五〇八校。そのほかに専修学校各種学校などが五三〇〇校あまり。学校の数だけ校歌が存在する。それだけではない。廃校になった学校の校歌もかなりあり、それらも含めると校歌の数は軽く五万曲は超える。これはSP盤時代に発売された流行歌の総数に匹敵する。歌の一分野で何万曲もあって、しかもそれが長い間歌い継がれているのは校歌だけであろう。八十五年の歴史を持つ明大校歌もその中の一曲なのである。(岡田則夫・記)
(掲載誌・神保町のタウン誌「本の街」)