神田のうた⑪美空ひばりの『お祭りマンボ』

  
お祭りを歌った流行歌は沢山あるが、その中で一曲を選ぶならば、私がぱっと頭に浮かぶのは美空ひばりの『お祭りマンボ』である。
きっぷよくて、お人好し、賑やかなことが好きで、そして、ちょっとおっちょこちょいといった江戸っ子の気風がこの歌からみなぎっている。
「ワッショイ〱 ワッショイ〱」威勢のよい掛け声が入り、戦後の復興時代の人々に、元気を与えてくれた歌でもある。

◎『お祭りマンボ』
美空ひばり・歌、原六朗・作詞・作曲
一、私のとなりの おじさんは
  神田の生まれで チャキ〱江戸ッ子
  お祭さわぎが 大好きで
  ねじりはちまき そろいのゆかた
  雨が降ろうが ヤリがふろうが
  朝から晩まで おみこしかついで
  ワッショイ〱 ワッショイ〱
  景気をつけろ 塩まいておくれ
  ワッショイ〱 ワッショイ〱
  ソーレ ソレソレ お祭だ
   おじさん〱 大変だ
   どこかで半鐘が なっている
   火事は近いよ スリバンだ
   何をいっても ワッショイショイ
   何を聞いても ワッショイショイ
   ワッショイ〱 ワッショイ〱
  ソーレ ソレソレ お祭だ
コロムビアA1490 昭和二十七年八月)

この歌は昭和二十七年四月二十八日、二十九日の二日間、歌舞伎座で開催された美空ひばり公演で発表された。ひばりは、まだ十五歳の少女歌手。レコード界にデビューしてわずか三年で堂々と歌舞伎座のヒノキ舞台を踏む人気歌手となったのである。公演は読売新聞社主催、東京都と松竹が後援、コロムビアが協賛だった。歌舞伎座出演の最年少者記録はバレエの貝塚八百子の十八歳だったが、ひばりはその記録を塗り替えた。公演初日の二十八日は講和条約発効の日だった。銀座周辺は新生日本の門出を祝う人々と、明るい笑顔でひばり公演を見に行く人並みであふれかえっていた。
ひばり公演のチケットはあっという間に売切れ、巷では千五百円のプレミアムが付き、老若男女の間で奪い合いの状態となったという。中華蕎麦一杯が十五円の時代に千五百円払っても見に行きたい人が大勢いたことは、いかにひばりの人気が物凄かったかを物語っているではないか。私はその頃、小学生低学年だったから、自分の小遣いでは到底夢のまた夢だろが、勤め人生活の最後を迎えている現在なら千五百円組の一人になっていただろう。
この公演は三部構成で、第一部は『マッチ売りの少女』というレビュー、第二部は『牛若と弁慶』と題したお芝居で、杵屋栄蔵社中の長唄十挺十枚をズラリと並べた豪華版。ひばりは段四郎と一緒にセリ上げでるという演出だった。第三部『歌の花束』は、古川ロッパと水の江滝子の司会で、ひばりのヒット曲と四曲の新曲が発表された。その中の一曲が『お祭りマンボ』だったのである。このとき大ヒットとなった『リンゴ追分』や『私の誕生日』や『故郷の鐘』の新曲も披露された。
ロッパは日記の中で、「ひばりの何気なく歌っているような姿、つくづくこれは大物だわいと感心する。・・・こんな人気のある者は一体今迄の日本に在ったろうか。雲右衛門、沢正、林長二郎などを頭に浮かべてみるが、これほど強烈なのはないようだ」と、しみじみ天才美空ひばりの大物ぶりについて感想を述べている。
美空ひばりは昭和二十四年七月、『河童ブギウギ』で音盤界にデビューする。十二歳の時だった。同年九月の『悲しき口笛』が大ヒット、翌二十五年には『東京キッド』『越後獅子の唄』、二十六年には『私は街の子』『あの丘越えて』『陽気な渡り鳥』と本塁打を連発、一躍大スターとなった。
『お祭りマンボ』はひばりの五十八番目の曲。十五歳の時の吹込みである。
レコードの作者原六朗は、大正四年一月六日、神田とは目と鼻の先の東京日本橋に生まれの江戸っ子。服部良一氏に師事し、コロムビア・ローズの『プリンセスワルツ』などの作曲を手掛けた。映画『サザエさん』などの音楽も担当している。平成十三年十一月六日、八十六歳でお亡くなりになった。
お祭をテーマにした流行歌は多く、たいていは三味線調である。ところが、この歌はマンボという、当時としては珍しいリズムを取り入れたところに新しさがあった。しかも、歌の文句の最後に「あとの祭りよ」と落語のようなオチが付いているユーモアたっぷりの歌詞も大衆に歓迎された理由だった。
なお、昭和二十九年にやはり原六朗の作で『江戸っ子マンボ』が出ているが、この曲も神田っ子には馴染みの深い歌だろう。
マンボのリズムの流行歌はその後、トニー・谷の「さいざんす・マンボ」などの人気曲が出て、ちょっとしたマンボブームを巻き起こした。
『お祭りマンボ』は現在カラオケにも入っている人気曲だが、歌詞も長いしリズムも複雑で、難しい曲とされている。特に、三番はブルース調に変化して、歌いこなすのが難しい。
この歌がヒットしていた頃、『平凡』(昭和28年十二月号)に、NHK「三つの歌」のピアノ伴奏の天池真佐男さんが『歌い方教室・お祭りマンボ』と題して二ページの記事をお書きになっている。
“ひばりちゃんみたいに歌いたい”とレコードを買ってきても、このスケールの大きいダイナッミクなこの歌を歌いこなすのは難しい。そういった読者のためのページだろう。そう簡単に歌える歌ではなかったのである。
天池さんは、「この歌は言葉の意味とリズムの面白さで持っている歌です。しゃべりだけのところと歌うところをうまくつかむことがコツ」とポイントを解説。「“私のとなりの おじさんは”は息を使わずに、口をあまり動かさないようにしゃべり、「わ」「と」「お」をちょっと強めにして御覧なさい。“ねじりはちまき”のところで初めて声を出す、つまり歌います・・・」。と懇切丁寧に説明している。
『お祭りマンボ』は、これからも愛唱され続けていくだろう。(岡田則夫・記)

(掲載誌・神保町のタウン誌「本の街」)