落語本蒐集四十年 ⑤ 懐かしの落語本屋 「西麻布・篠原書店」の巻

◎懐かしの落語本屋 「西麻布・篠原書店」の巻
 篠原書店は西麻布の交叉点を高樹町の方向に向かって一本目の細道を左に曲り、少し歩くと右手にある繁成寺の敷地内にあった。むかしは麻布笄町とよばれたところである。白っちゃけたビルが建ち並ぶ六本木から霞坂を下ってここまで来ると、せんべい屋だとか荒物屋などの黒っぽい家並みが続く庶民の町の雰囲気になった。
 篠原書店もその一軒。店は終戦直後に建てられた木造の平屋。昔ながらのガラスの入った引き戸をがらがらとあけて店内に入ると、土がむき出しの土間。その床土はカチカチに踏み固められて黒光りしていた。土間が熱を吸収するのか、夏でもひんやりとして気持ちがよかった。天井の裸電球がぼーっと鈍い光を放っている薄暗い店内は、なんともいえない香ばしい本の匂いがした。店の広さは七,八坪ほどで、棚は四列。いかにも東京っ子が喜びそうな趣味本がぎっしり。私は、篠原書店の前に佇むと、いつもなんだかほっとした気持ちになったものだ。昭和四十年代でもこういった雰囲気の古本屋は珍しかったのである。なお、このガラスの引き戸は、月島の文雅堂が使っていたものを再利用したものと伝えきく。終戦間もない頃は、こうした建具も貴重品だったのだ。
 篠原書店のご主人は本名・望月光。大正十四年六月二十二日、麻布に生まれた。祖父の代からの古本屋である。先代は店の裏に古本の市場(霞町市場)を設け、昭和三十年代まで会主をされていた。だから、篠原書店のご主人は小さい時から振り市のセリ声を聞いて育った根っからの古本屋なのである。戦地から帰ってきて古本屋を始めたが、落語本が市に出るたびに落として店に並べた。その頃はまだ落語本などを手がけようとする店はどこにもなかったのである。篠原書店は落語専門店の元祖かもしれない。昭和四十二年五月、図書新聞社から『古書店地図帳』が発行された。取り扱い書目の欄に「寄席」と書いたのは、全国で篠原書店ただ一軒だけだった。ご主人は子どもの頃から落語好きで、古本屋になる前から古い落語速記本を押し入れ一杯集めていたほど。このコレクションは惜しくも戦災で失われたが、「あれが焼けなかったらなあ」といつも話されていたという。ご主人は大変気さくで、さっぱりとした江戸っ子気質の人だった。私のような素寒貧の若僧にも本のことならなんでも親切に教えてくれた。
 篠原書店は神田の「城南展」など展覧会もやっていたが、店の方がはるかに面白い物にぶつかった。店の本は高額本だからといってとガラスのケースに収めるようなことは一切せず、百円のありふれた本といっしょに、何万もする本を無造作に並べていた。本の分類もおおまかだった。「本好きは、どこに置いてあっても探して買っていくから、これでいいんだよ」と言っていた。なんとうれしい了見ではないか。
 いつだったか、ある雨の日、私は正岡いるゝの『歌集・新堀端』を見つけたことがある。極美本だった。胸をどきどきさせながら棚から抜くとき、目の前にチカチカと火花が散り、背中にビリビリとエレキが走った。このときの感覚は、今でもまざまざと思い起こすことができる。七千円だった。
 篠原書店は昭和五十七年十一月、京王線明大前駅近くに移転。ご主人は昭和六十三年七月二十二日、お亡くなりになった。現在は奥さんが営業を続けている。
 藝古堂は麻布時代の篠原書店と雰囲気が似てきた。店の薄暗さ、分類されていない棚の本、そこら中に積み上げられた玉石混淆の黒っぽい本の山。店内に充満する古書の芳しき香り。「雑然さ」という点では篠原書店をはるかにしのぐ。
 訪問される方は必ず懐中電灯を持参されることをお勧めする。(岡田則夫・記)

(2005年・掲載誌『藝古堂目録』)