落語本蒐集四十年10◎本の収納の巻

落語本蒐集四十年10 岡田則夫           
◎本の収納の巻

 私はむかしから何でも物をとっておくのが好きで、狭い我が家は本やレコードやモロモロの品々で埋め尽くされてしまった。手紙は物心ついてからの分はすべてあるし、年賀状も一枚も捨てていない。無料で頂くPR誌やタウン誌なども、なにかの参考になりそうなものは大切にしまってある。
現在、六畳間三部屋を本とレコードの収納スペースとして使っているが、完全な飽和状態だ。テレビのある居間にも置きたいのだが、愚妻からここだけは絶対に置かぬようにと厳しく言い渡されているので、この部屋だけは一冊の本もなく、他人の家のよう雰囲気になっている。本とレコードが置いてある私の部屋は三方の壁を本棚で囲い、さらに背中合わせにした本棚を六本詰め込んでいる。空気の流通など考えていられない。通路にも何やかにやと置いているので、下の床が見えるところは半畳分もないだろう。本棚は七段のありふれたスチール製だが、その上に木箱を天井まで積んで九段にして使っている。床の面積は限られているので自然に上に上にと空間を利用することになる。棚は収納冊数を増やすため、当然前後二列に並べている。そうすると本棚一基に約八百冊収納でき、六畳一間にざっと一万二千冊位は収納可能となるのである。実際はもっと詰め込めるのだが、そうすると今度は必要な資料を探すのに一苦労することになるから、これが限度だ。このような部屋三つが数年前いっぱいになった。そこで庭の横に倉庫を作り、本棚を十五本入れたが、ここもぎっちり。収納スペースが増えると買いに拍車がかかる。仕方がないので、さらに近所に貸倉庫を借りるはめとなった。ここにはダンボール箱およそ二百箱をスキマなく天井まで積んである。
何十年間もアリが運ぶように少しずつ絶え間なく家に持ち込み続けた結果がこのありさまなのである。たぶん、藝古堂のお客様の方の中にはもっとすごい状態のお宅が多いのではないかと思う。
収集家にとってコレクションを収納する場所を確保することは切実な問題である。
コレクションを置いた場所は、永久に他に転用することができない「死にスペース」になってしまう。収集家は購入費とは別に収納スペースの固定費がかかることを忘れがちだ。たとえば3DK三千万のマンションの一部屋を収蔵庫に使ったら一千万円の固定費が飛ぶ。大邸宅に住んでいる人は別として、われわれ庶民の収納スペースは限られている。広い家に住んでいる人でも、家族に許可されない場合が多いのである。その理由は、言わぬが花の吉野山。そりゃ、考えてみりゃ当たり前ですね。
どうしたら限られた空間にいかに多くのものを収納できるか、団地住まいの頃からずいぶん知恵をしぼった。わずかな隙間があれば本を詰め込み、ベランダや流しの下、狭い玄関にも積み上げた。
本屋で家事評論家の書いた『収納の本』の本を買ったこともある。それらの本を読むと、収納の心得として「まず不要なものをどんどん捨てなさい」なんて、判を押したようにノンキなことを書いている。こちらは、捨てられないから困っているのに。
コレクションは確実に増殖していく。しかし、私は愚痴はいうけれど、まったく後悔はしていない。むしろ、コレクションが増えれば増えるだけうれしいのである。困った性分ですね。