落語本蒐集四十年12◎戦前の漫才の本

落語本蒐集四十年 ⑫   岡田則夫           

◎戦前の漫才の本
 漫才は時代とともに変化し続ける芸である。現在は「マンザイ」とか「MANZAI」などと新しい表記までとびだした漫才であるが、その昔は萬歳、万才と書き、昭和になって漫才が生まれる。書き表し方が変わるとともにネタや演出の仕方も大きく変化してきた。漫才は寄席の演芸の中では落語や講談と比べると歴史はぐっと新しい芸だ。漫才の源流をたどっていくと、お正月などに演じられる祝福芸の萬歳にたどりつく。舞台で演じられるようになったのは明治中期以降で、大正期の「芸尽くし萬歳」の時代を経て、昭和に入ってエンタツアチャコらのしゃべくり漫才が登場して大ブームになる。漫才の本が盛んに発行されるようになるのも昭和に入ってからである。戦時中には薄冊の慰問用漫才集もかなり出ている。私が調べた範囲では戦前だけで約八十冊の漫才本が発行されている。しかし、読み捨ての娯楽本の宿命で、つぶされてほとんど残っていないのが現状だ。私のコレクションは藝古堂さんに協力していただいて六十冊までにこぎつけたが、まだまだ先は遠い。漫才の父といわれている秋田實先生の本も戦前だけでも十冊以上発行されているが、戦時中に出た『ボクの話題』(昭和十六年、輝文館)などは、二百六十ページもある厚い本なのに、最近ほとんど見かけることがない。
 しゃべくり漫才以前の芸尽くし萬歳時代の本はさらに少なくなる。祝福芸の萬歳の研究書は別にして、寄席の舞台でどのように演じられていたかが分かる大阪の萬歳師たちの口演集、速記本の類は極めて少ないのである。
本は少ないがレコードはかなりあり、有益な資料となっている。玉子屋円辰や若松家正右衛門や菅原家千代丸や砂川捨丸荒川千成や河内家芳春や桜川末子・花子らが得意のオハコ集を残している。阿呆陀羅経や数え歌や問答やチャリ義太夫や滑稽浪花節や色々な音曲。私は雨降りの日に部屋にこもって昔の萬歳のレコードを聴きながら終日ぼうっと過ごすのが好きだ。ちなみに萬歳の最も古い録音は、桜川惣丸・浮世亭安楽が明治末、米国コロンビアに吹き込んだ「御笑ひ」「阿呆陀羅経」「青物尽し」「大根艱難」「天神七代」の五面である。
このようにしゃべくり漫才以前の芸尽くし萬歳のレコードはかなりあるが、書籍は皆無に近いのである。私が所蔵している萬歳の本で最も古いのは、丸八長太夫の『東京御殿萬歳』(大正十三年三月二十四日改訂増補、二十三ページ)。丸八一行は一座を組んで娯楽性の強い尾張萬歳を主軸にした興行を打って歩いていた。この本はそのときの一座のネタを活字化した口演集である。三曲萬歳の忠臣蔵三段目、伊賀越のほか、伊勢萬歳や謎かけや安来節の一節も収録されている。座員の顔写真も掲載されている。こうした萬歳一座の芸が大阪の音頭とりたちに影響を与えて、大阪の萬歳が生まれたのであろう。私はこの本を社員旅行で伊豆に行った帰りに三島の古道具屋で見つけた。まったく未知の本だった。古ぼけたつづらの中に絵葉書や観光鳥瞰図や引札や芝居の筋書きや雑誌の付録や保険会社のチラシやメンコなどがごちゃごちゃに入っている。興味のない人には紙くずにしか見えないだろう。店主の話だと二、三日前買い出してきたばかりのウブ荷だという。よくこういう薄い紙物の中に寄席のチラシやレコードの月報などがまぎれ込んでいることがあるので、上から順番に丹念に見始めた。そうしたら、なんとつづらの底のほうにぺったり貼りつくようにしてこの本があったのである。1冊だけでは愛想がないので、流行歌の歌本だの福引の種本なども選んだ。
大阪の萬歳師の口演集で古いものには芦乃家雁玉著『萬歳十八番』(昭和四年・村田松栄館発行)がある。この本は時々見かける本だ。それにもう一冊『全国名流十八番百芸づくし・高級萬歳名人競演大会』(昭和五年・大阪盛進堂書店)も見落とせない。この本には巻頭に萬歳師の系図が出ていて参考になる。抜け問答のバレネタなども堂々と掲載されていて、かなり猥雑だったといわれる当時の萬歳小屋のむんむんとした雰囲気が伝わってきて興味深い。この本は表紙や書名を替えて版を重ねているから、かなり売れたのだろう。昭和七年発行の三十一版は『高級萬歳エロ大会』と改題され、シミーズ一枚の女性を描いた漫風イラストと表紙に衣替えしている。同じ版で捨丸の表紙の本もある。漫才本の探求は歴史が浅いのだが奥が深い。これからもまだまだ新発見の本が出てきそうである。ぜひご教示賜りたいと存じます。
(「藝古堂目録」より)