『落語本蒐集四十年』  ①

◎昔書いた原稿が出てきたので再掲します。ご笑覧のほどを。

『落語本蒐集四十年』  ①            
 落語の本やレコードを収集しはじめたのは、昭和三十八年頃からだ。高校の時、正岡容の本を読んですっかり熱愛者になり、お定まりの古本屋・古書展通いが始まった。私は子どもの頃から無類のコレクション好き。「よし、落語をはじめ寄席演芸に関するものを可能な限り集めてやろう」と、大それた収集方針たてた。「落語」の二文字があればすべてが収集の対象となったのである。大学に入ってからは、同級生の落語本好きの佐藤健治君と友達となり、ますます古本屋歩きに拍車がかかった。彼もまた私と同じような了見の持ち主だからたまらない。まだ、『古書店地図帳』なぞという便利なものがない時代だ。今日は西武池袋線、明日は東上線と、電車の駅を一つ一つ降りて、古本屋歩きが始まった。目標は東京中の本屋をすべて回ってやろうというのである。カネはないけれど時間はたっぷりある。二人で見知らぬ駅を一つずつ下車して、駅前で「この辺や古本屋はありませんか」と地元の人に尋ねて、探そうというのだ。なかには,我々を苦学生だと思って「感心だな。どんな本を探しているのかい」などと聞かれることもあったが,「落語の本」とはいえず「えーっと,参考書を…」などと,とんだ大嘘をついてしまったこともあった。すねかじりの駄目学生がロクに勉強もせず、道楽にうつつを抜かしていることに多少後ろめたい気持ちがあったのだろう。一日の軍資金はせいぜい千円ぐらい。駅と駅の間が近い所は、電車賃がもったいないのでむろん徒歩。靴がへるので底に減り止めの三角の鉄の鋲を何個もうちつけて歩いた。そうして佐藤君と馬鹿っ話しをしながら駅から駅へと渡り歩くのである。腹がへったらパン屋でコッペパンにマーガリンを塗ってもらったのをパクつきながら歩いた。二人とも頭はぼさぼさ、洋服を買うカネはみんな本やレコードに化けるから、いつも着た切り雀の弥次喜多道中だ。
 めぼしい落語本がない時は、当時均一台によくあった徳川夢声の本や雑誌『笑の泉』や小咄本をひろった。今私の持っている夢声本は、九割そうして入手したものである。二十円均一というのがまだあった時代である。
 現在、東京二十三区内にあるJR・私鉄の駅の数は地下鉄やモノレール、都電も入れて三百七十四駅ある。先日佐藤君と、古本屋歩きで今まで下車したことのある駅を数えてみたら三百十駅あった。われながらよく歩いたものだとあきれる。ほとんどの駅に古本屋があり、おかげで、裏町の路地も詳しくなった。仕事でもこれほど熱心だったなら、会社から表彰されたかもしれませんね。こうして歩いて見つけた東京の「落語本屋」は、神田の古賀書店(現豊田書房)、浅草の協立書店、谷中の鶉屋、麻布霞町の篠原書店の四軒だった。豊田書房は現在も盛業中、篠原書店は明大前に移転、協立書店と鶉屋は店を閉じた。それぞれの店の逸話は次号でたっぷりお話したい。
 佐藤君は平成十二年、長年勤めていた出版社を退社、三十五年間集めた蔵書をもとに寄席演芸専門の「藝古堂」を開業した。「店内が落語本で埋め尽くされている古本屋があったらいいな」という店主の念願が叶ったのである。私の古本屋歩きの経験でも、これほど寄席本に徹底した店はなく、「異色中の異色の古本屋」だと、大きな提灯を持たせていただきたいと思う。(終り)岡田則夫・記
(2004年11月記。掲載誌『藝古堂古書目録』)


◎次回は「懐かしの落語本屋①・協立書店の巻」