神田のうた⑮「本郷弓町縁日懐古」(3)べっこう飴とウエハース

「本郷弓町縁日懐古」(3)べっこう飴とウエハース

 縁日のべっこう飴は、今もある息の長い商品である。私の子どもの頃は綿飴同様、これも作りながら売っていた。
 私は、どんな風にして作るのか見るのが好きで、あきもしないで、じっとながめていたものだ。べっこう飴の主材料は水飴だが、これを小鍋に取り分けてコンロにかけ、煮詰めていく。鍋は、家庭用のニュームの鍋ではなく、これは後から分かったのだが、「白(しろ)蝋(め)引き」といわれる内側に錫メッキした銅鍋で、商売人用の道具だそうだ。子どもというものは案外細かい所まで観察しているものだ。縁日の飴屋なれど、使いこまれた道具を見ると、いかにも年期が入っている仕事ぶりだった。
 鍋の中の水飴がだんだん煮詰まって水気が飛び、ぶくぶくと泡だって飴状になってくると、ここで白砂糖をぱらぱらと振り入れる。これは、甘味の補充と香り付けのためらしい。
 途中、ヘラで飴化の状態を確かめて、割り箸をおいた真鍮の枠型に、流し込んでいく。
そうして冷えて固まればでき上がり。型の種類は鳥や魚や羽子板やダルマなど。形は違っても、飴の面積は皆ほぼ同じ。昔はバラ売りだから、大きさに大小があると、大きい方ばかりが売れてしまう。その辺はよく考えている。
 べっこう飴をかまずにぺろぺろ舐めていくと、紙のように薄くなって、相手の顔が見えるほど透き通ってくる。友だち同士で薄さを競ったものだ。むかしの子どもたちは、一本のべっこう飴も、こんなふうに長持ちさせて遊び道具として楽しんだのである。ところが、あまり薄くすると、先がカミソリの刃のように鋭くなり危ない。友だちの義夫ちゃんは、うっかりタテに舐めてベロの先をちょっと切ってしまい、泣き出したことがあった。
 このほか、忘れることができないものに飴の「抜き」がある。これは紙芝居屋の定番物だったが、私のほうでは縁日にも来ていた。これは、一分銀(江戸時代の貨幣)と同じくらいの大きさの長方形の薄い板の飴で、表面にひょうたんの絵柄を刃型で押したスジが付いている。慎重に周囲のヘリを少しずつ折っていき、欠けのない完全なものを持っていくと、おじさんから景品のべっこうあめ飴が貰える。一種のくじである。裏側から上手に舐めていくと、絵柄の部分がぽこっとはずれることもある。
 ところが、簡単なようだがこれが難しい。ひょうたんのくびれたところをポリンと折ってしまったりしたらそれで終わり。先っぽの出べそのようにちょこっとでているところが、これまた難関。何度挑戦しても、すぐ失敗してしまうのである。くやしいのである時、家に持ち帰り、母にも手伝ってもらい、マチ針でつついて、ようやく完全な形に抜くことができた。
 得意になって飴屋のおやじに見せると、「坊ちゃん、針を使いやしたな。こりゃいけませんぜ」と言われた。言葉はやさしかったが、ギロリとにらんだおやじの目は恐かった。
 しかし、検査は無事通過、景品の飴を貰うことができたのである。景品の飴は牛乳びんのフタ位の大きさの平ぺったい形で、棒が付いている。味は普通のべっこう飴よりはるかに甘くおいしかった。今売っている飴の中では、栄太楼の梅ぼし飴の味とよく似ている。この飴が懐かしくて、後年、どんな種類のものだったのかと、和菓子屋の知人に尋ねたら、たぶん、アルヘイ糖(有平糖)の一種じゃないかとのことである。昭和二十年代にはまだこんな古風な飴屋が縁日に出ていたのである。
 もう一つ、縁日の食べ物で懐かしいのは、カステラの裁ちくずである。
 当時カステラは、主に贈答品の遣われる高級菓子で、おいそれと庶民の口に入る物ではなかったのである。どこから仕入れてきたのか、真っ黒に焦げた作り損ないや、縁の所を化粧断ちした時に出る細長いやつを、山盛りにして売っていた。カステラには玉子が入っているから、焦げたところは特に苦い。今ならポイと捨てられてしまうのだろうが、むかしはこういうものもれっきとした商品として庶民に歓迎されていたのである。でも、売っていたのはアメ横あたりで売っている大衆品のローズものだから、ぱさぱさしていた。でも、私にとってこの苦い焦げカステラが本当に懐かしいのである。
 それからウエハースの裁ちくずというのもあった。これは、あまりよその縁日では見かけないものだろう。こういう珍しいものを見たことは、私としては、ちょっと自慢なのである。まあ、ヘンな自慢ですけどね。
ウエハースとは、アイスクリームの口直しとして添えられているあれである。
 割れたのだとか、周囲を切り落としたときにでる破片など、大きさや形はさまざまだ。これを新聞紙で作った袋に大盛りにして売るのである。赤ちゃんのいるお母さん方がお得意さんで、二袋、三袋と買い求めていた。私も時々買った。
 ウエハースというものは、そのもの自体には味は付いていない。真ん中にサンドされている甘いクリームと一緒に食べるからおいしいのである。ところが、ここで売っているものは、運が悪いと、ヘリの方のクリームが付いていないところばかりどっさり入っているのである。
 「まずいもの番付」の横綱は、「モナカの皮」だというが、味のしないウエハースは、さながらモナカの皮だけ食っているようなもの。まずいのまずくないのって。
 今はどこに行ってもおいしい物ばかりで、めったにこういうシロモノにお目にかかることはなくなった。
 それだから、むかし食べた、縁日の食べ物が無性に懐かしくなるのだろう。
 ぜいたくな話である。(岡田則夫

(掲載誌・神保町のタウン誌「本の街」)