神田のうた⑯ 「本郷大横町縁日懐古」(4)十徳ナイフ

「本郷大横町縁日懐古」(4)十徳ナイフのタンカバイ
 縁日では、面白い口上をつけて売る、いわゆる「タンカ売(バイ)」もいろいろ出ていた。大きな声を出して威勢良く売る、瀬戸物屋や反物屋やバナナは、タンカ売の中でも、香具師の符丁で「大ジメ師」と呼ばれ、縁日の花形だった。また、「サンズン」といって折りたたみの台の上で口上を付けながら売るタンカ売もあった。こちらの方はアイデア商品のようなものが多く、瀬戸物やバナナのように派手ではないが、理路整然と商品の特長を説明しながら売る。この系列には「インク消し」、それから珍しいものでは、商品名は忘れたが金属メッキができる粉なんて怪しげなものもあった。私が好きだったのは、「十徳ナイフ」である。これも「サンズン」の系統で、一時はどこの縁日でも見かけたものだった。いつ頃から縁日に登場したのか、定かではないが、外国に古くからある、一本のナイフにいろいろな道具を組み込んだ多機能ナイフがルーツらしい。
 なんといってもガラス切りを付けたところがこの商品の大特色だった。ガラス切りという道具は、どこかで見たことはあっても、一般家庭には絶対にないし、必要もないものだ。しかし、この珍しい道具を使って、一度ガラスを切って見たいという気持ちは誰にでもある。特に好奇心旺盛な子どもは、みんな興味を持つだろう。縁日のタンカ売の商品は、目新しく珍奇なものがよく売れる。誰も思いもよらぬガラス切りというものに着目し、独自の縁日商品としたのである。よくぞ考えたものだと、このアイデアマンに敬意を表したい。
 実演販売の品は、客をひきつける特徴がなくてはならない。実際には使い物にならないガセネタであったにしろ、熟達した口上でお客の好奇心に訴え、売ってしまうのである。このへんが香具師のうでのみせどころであった。
 さて、十徳ナイフには商品名の通り、十の機能を持つ道具が付いている。メーカーによって少しずつ違うが、列挙してみると、①・②磁石付きナイフ、③ゴム通し④耳掻き⑤ヤスリ⑥カン切り⑦せん抜き⑧キリ⑨ねじ回し⑩ガラス切りとなる。「のこぎり」が付いていたのもあったようだ。
 おじさんは、なぜかネクタイ姿で、一見中年の先生風。これでまず子どもたちは信頼してしまう。台の上にはボール紙の箱に入った商品、その横には薄いガラス板が積んであり、そのそばにはビンやカンが並んでいる。
 おじさんはまず、十徳ナイフのガラス切りで、「チリチリッ、パキッ、チャリンッ」と音をさせてガラスを切り始める。この音をたてるところがミソで、客集めとなる。「おや、なんだろうと」客が立ち止まったところで、先ほど挙げた①〜⑩の説明が始まる。
 カン切りの説明では大型の古めかしいカン切りを持ち出して、「いまだにこんなので切ってやつがいる。ハイ、見てください。支点力点作用点、ハイ、支点力点作用点・・・。小判型でもどんな形のカンでも切れる・・・」。
 また、ゴム通しの説明は「ハイ、サルマタ、ズロースのゴム、ゴムは平ゴムでも丸ゴムでもなんでも使えます。もちろんヒモ通しにも使える。この十徳ナイフなら、何から何まで付いているから、小さなヒモ通しを引出しの中がちゃがちゃ探さなくてもいい。男だったらサルマタのひも位自分で通しな」。
 といったふうに、一つ一つ特長を説明して、いよいよガラス切りの説明に入る。ここがハイライト。時間もたっぷり使う。十徳ナイフの付根に付いている小さなロール式のガラス切りである。
「みなさん、ガラスをガラス屋に切ってもらうと高いことはよくご存知のことです。ガラスをピーッと切るだけで一筋何十円も取られる。なぜ高いか。ガラス切りの道具が高いからです。あの先にはダイヤモンドが付いている。ガラス屋は金庫に入れているんです。だから高くとられてもしょうがないです。これからはこの十徳ナイフのガラス切りを使ってください。(チリチリチリッ、パリンッ。ガラス切りで板ガラスを、鮮やかに切る)。これ、柱時計の円いガラスです。このガラス切りは、歯が回転するから、円い形のものも切れる。これはネ、帝大の工学博士が考案したもので、コンゴウシャ(金剛砂?)というダイヤモンドの粉がついている。これ以上硬いものはないから永久に使えます。ホラ、ここに専売特許の番号も付いている。ハイ、それから、ガラスには表裏がある。ツヤのある方が表です。切る時は表を上にして切る。これ、覚えておいて下さいよ。豆腐やコンニャクにゃ表も裏もないけど。ネ、オレの話はためになるだろう」。
 この一通りの口上が約二十分。そのほとんどの時間がガラス切りの説明。客をぐっとひきつけておいて、値段を最後に言う。初めに言ってしまうと、値段を聞いただけでぷいと客が逃げてしまうからである。
「これだけのものを別々に買ったら千円じゃきかないよ。今日は宣伝中だから、特別に三百円で、おわけいたします」。
 それから、こんなことも言っていた。「この間、あるお客さんが、“こんな簡単にガラスが切れるなら、あっしらの稼業にうってつけだ”と五コも買ったネ。誰が買ったと思う?ドロテキだよ。泥棒さんだ。泥棒に“さん”をつけるこたぁねえけど・・・」。わっとどよめき、つられて二、三本また売れる。
 買ってきて使って見ると、すぐ駄目になるシロモノだったが、私にとっては宝物としての価値はじゅうぶんあった。
 十徳ナイフの「十徳」は「じゅっとく」ではなく「じっとく」と読む。縁日のおじさんもそう言っていた。「じゅっとく」と言うのは一種の言葉ナマリ。小学校の国語の教科書には「十」の読みは、「じゅう」と「じっ」の二つしか出ていない。たとえば「十人」は「じゅうにん」、「十本」は「じっぽん」と読む。漢字の読み仮名をつけるテストで、「十本」を「じゅっぽん」とかくとバツになる。同じように「十個」は(じっこ)、「十冊」は(じっさつ)が正しい。
 しかし、最近は「じゅっぽん」という人がほとんどである。アナウンサーの発音を注意深く聴いてみると、NHKの株式市況や気象通報などでは、「じっせん(十銭)」、「じっぷん(十分)」と、正しく使っているが、その他の番組では、両方使われているようである。民放の方は「じゅっぽん」派がほとんどである。ちなみにワープロはどちらでも変換できるようになっている。「じゅっぽん」の読み方もそろそろ市民権を得てきたようだ。
 落語の演題にも「十徳」という、先代円馬がよくやっていた古風なネタがあるが、こちらの方は絶対「じっとく」でなければならない。ものの呼び名も、五十年もたつと変るものなのですね。まあ、よけいなことかもしれないが、付け加えておきたい。
 今でも十徳ナイフとよく似たナイフは「ツールナイフ」と呼ばれ、デパートのキャンプ用品売り場などで売っている。「アーミーナイフ」と称する軍用のものもあり、これには二十以上の機能が付き(ガラス切りは付属せず)、刃も錆びない特殊鋼の立派なものだ。デザインも洗練され、すまし顔で陳列棚に並んでいる。しかし、憎らしいほどに完成され、商品に可愛げがないのである。
 私は、なんといっても縁日で売っていた、あの懐かしいマガイものの「十徳ナイフ」に親しみを感じるのである。(岡田則夫・記)

(掲載誌・神保町のタウン誌「本の街」)